「愛し合うためにいる」という感覚は、多くの人がどこかで“知っている”ものです。
それでも実際には、愛せない瞬間がある。
その理由はいくつかの層で考えられます。
まず一つは、恐れです。
人は傷つく可能性があるとき、防御を優先します。
愛するという行為は、心を開くこととほぼ同義なので、過去の経験や記憶があるほど、無意識に閉じてしまうことがあります。
次に、分離の感覚です。
本来はつながっているはずなのに、「自分」と「相手」を切り離して認識すると、相手は理解できない存在になります。
理解できないものに対しては、防衛・否定・無関心が生まれやすく、愛は見えにくくなります。
さらに、条件づけられた価値観も影響します。
「こうあるべき」「こうしてくれたら愛する」という条件が増えるほど、愛は純粋なものから遠ざかります。
本来は自然に湧き上がるものなのに、思考が介入すると止まってしまう。
そしてもう一つ重要なのは、
自分自身との関係です。
自分を受け入れられていないとき、人は他者にも同じ厳しさを向けやすい。
逆に、自分の不完全さをそのまま認められると、他者にも余白を持てるようになります。
愛せない時があるのは「愛がないから」ではなく、
恐れ・分離・思考によって、もともとある愛が見えなくなっている状態に近いです。
だから、「私たちは、そもそも愛し合う存在だ。」と思い出すことが大切。
新しく何かを手に入れるというより、
覆っているものが静かになったときに、自然と現れるものなのだと思います。






















